セックス依存症かもしれない、と悩む男性も幾分かいると思うが、セックスがしたくてたまらないというのは本能的なものだと思って、あきらめている人も多いだろう。
しかし、読み解いてみると、もうすこし複雑かもしれない。
セックス依存症の前にポルノ依存症
セックスへの欲求は、本能ではなく大いに社会的な衝動であると思っています。
実は、マーケティングによってポルノ依存にされ、ポルノで見たことを実現したいから、セックスしてみたくなる。
セックスすることで、男性社会のランキングをあげていく、または逆転したい、という極めて男性社会の中の社会的欲求としてのセックスである。
男性に認められたくてセックスをする(女性不在)という問題が社会的にあると思う。
女性を記号的に判断、評価してランク付けするのは、そのどのランクを自分がものにしたか、それがそのまま男性の中のランキングに反映される、得点表のようなものだからである。
実際セックスできてみても満たされない、違うものを求めているから。
ポルノ依存症なので、実際にセックスができても満たされないのである。
ポルノは刺激だからである。刺激が満たされることはなく、よりまた次の刺激を求めるからである。
セックスをヒントにした、依存性の高い別ものがポルノなのである。
だから、セックス依存症とポルノ依存症を分けてかんがえなければいけないのです。
まず、健康な精神状態を持つために、ポルノ漬けを脱しなければなりません。
目の前にいるあなたの彼女や妻が、ポルノ的に物足りなく感じてしまうのは当たり前のことなのです。
すごく面白くクリエイターによって作れた世界であり、薬物のようなものなのです。
セックスしても、満たされないのは、セックスそのものよりもその前に問題があるのです。
寂しさを埋めるためにセックスをしても寂しさは埋まらない
同じように、満たされない寂しさをうめるために、いくらセックスをしても満たされないことも同様です。
なにか別のことによって、生まれた寂しさをセックスでは埋められないからです。
そうなると、セックスというのは快感を伴う生殖活動であり、それだけなのです。
たかがセックスともいえます。
人生や幸せにおいて、一要素でしかないのです。
まずその寂しさの本体を解消しなければなりません。
されどセックスで愛を確認はできる
しかしセックスは誰とでもできるものではありません。
そのときだけでも、認め合い許しあって、一時的にでも愛し合っている二人の存在を確認しあえる素敵なコミュニケーション手段ではあります。
その癒やしをエネルギーにしましょう。
自分が抱えている寂しさを解決していく活力をもらいましょう。